黄昏の船着き場にて

風の吹くまま気の向くままに

西日本終末旅行記② 島根編1

3月6日

島根に行くのは二度目である。一度目は周防大島のワーキングホリデー帰りで、私がゲストハウスデビューした時だ。大学二年生の春休みのことである。もうずっと昔のことのような気がして、懐かしい。
一度目に訪れた時、銭湯で出会ったあの石油臭いような茶褐色の、濁った温泉に魅了されたことを覚えている。またあのお湯に出会えたらいいなと思って、先輩にその話をすると「私もそういう温泉好き!」と言われ、そのお湯らしき銭湯を探し入りに行くことにした。奥出雲の山をズンズンと進む。まだ20時にもなっていないのに、辺りは真っ暗だ。「Googleマップに化かされたかもしれない」と先輩が呟き、私もだんだんと不安になってきたところで、「塩ヶ原温泉」の看板が見えた。閉店も近かったので、慌てて駆け込み念願の島根のお湯に浸かった。この石油のような香りのするにごり湯は、神奈川では出会ったことがないし、ほかの県でもやはりみない。島根特有の温泉なのかもしれない。
風呂からいい気持ちで上がり、番頭さんにこの辺りの食事処を聞くと「もうこの時間はどこも空いてないよ」と言われ、ネコノテパン工房で買っていたフォカッチャを半分こしたあと、ローソンを見つけおにぎりと味噌汁を買い夕飯とした。
その日は現在地から一番近い道の駅で、車中泊となった。隣の車の乗員がパリピだったようで、夜中音楽がうるさかった。
 
3月7日
私が眠っている間に移動していたようで、目覚めるときららビーチというところの駐車場にいた。先輩は先に石ころを拾いに行ったようだった。私も身支度をし、春を待つ薄ぼんやりとした海に向かう。
f:id:goemonburo5030:20200505170323j:plainしばらく無心で石を拾い集める。私はこの旅において、先輩に車を出してもらっている以上はなにか恩返しをしなければと思い「石ころ小作人」という立場をとることにした。いい感じの石ころを見つけては先輩に届けるのが私の使命だ。2時間ほどして、いい感じの石ころのほかメフィラス星人のフィギュアも拾った。(狂言研究会時代の後輩である特撮オタクラインをしたところ、2分で回答が来てメフィラス星人と判明した)f:id:goemonburo5030:20200505170659j:plain10時ごろ、海辺にある「蒼」という喫茶店で私はスコーンを、先輩はカレーを頼み納めの朝食をとった。『いつか「石ころと喫茶すべすべ」って店をやりたいね』なんて話し合いながら、背の高い草に止まるすずめを横目にスコーンを食べた。居心地の良い喫茶店で、近所にあれば週2で通いたいと思った。f:id:goemonburo5030:20200505171107j:plain
尾道の「綴る。」の店主さんに教えてもらった「鍛冶屋と料理」に向かうべく、海辺をひたすらにドライブする。店に着くと混み合っていて、ピザの焼ける匂いを嗅ぎながら腹を空かせて席が空くのを待った。f:id:goemonburo5030:20200505171337j:plain
最初に出てきたのはリコッタチーズときんかん・プチトマト・いちごのサラダだ。みたことも食べたこともない組み合わせで、口の中に入れるまではどきどきだったが、食べてみると意外にも全ての食材がうまく調和していて爽やかな美味しさだった。f:id:goemonburo5030:20200505172302j:plainピザはマルゲリータの他に発酵バターと塩というシンプルなものを頼んだ。生地のふかふかとした食感、小麦の甘み、バターの芳醇なうまみを塩が引き立て、天上の食べ物かと思った。素晴らしい料理と出会い大きな満足感を得たあと、名もなき浜でしばし石を拾い、その後ふたりの共通の趣味である焼き物の窯元があると知り、出西窯へ向かった。先輩は悩みに悩んで、結局全ての皿を買っていた。

島根へ来た目的は泊まれる博物館として一時期話題になった「奥出雲多根自然博物館」に泊まることである。道すがらのご飯どころで夕飯を済ませ、また山道を走り18時ごろにたどり着くことができた。急いで近くの浴場に向かい、お風呂に入って瓶の牛乳を飲んだあと、宿泊者限定のナイトミュージアムのクイズラリーに参加した。
f:id:goemonburo5030:20200505173313j:plainこれが結構難しくて、最後の問題を悩みに悩んだ末提出するとなんと100点だった。景品をもらい、大満足で部屋に帰る。酒を煽ったらどうにもテンションがおかしくなり、拾った石をホームセンターで調達した紙やすりで磨き続けた。先輩は眠りながら石を磨いていた。おそらくここで旅の疲れが出て、ハイになってしまったのだと思う。f:id:goemonburo5030:20200505173606j:plain
だいぶ長くなってしまった。続きは西日本終末旅行記③島根編2で記すことにする。